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代表 大野まゆみの想い 2ページ目
第1節 生い立ち
ある年齢から占いで物事を決めてきた。
その前は親や先生や周りの大人たちの言うとおり生きてきた。
だから自分で決めたことがなかった。失敗したくなかった。いや失敗は許されなかったからだ。
振り返ると、私が0歳のとき、母がぜんそくで入院した。
私は、父の妹の家に数か月預けられた。今、宗教の本や心理学や占いを読んで、わかったことがある。
3歳までに親の愛情を得た人は、本能で「いい人か悪い人か」などがわかるのだそうだ。
私は、「泣いても親はいなかった」のだ。捨てられたのだと幼い心は感じたのだ。
生きるために、服従するしかなかった。言うとおりしないと嫌われる、そうすると食べさせてもらえない。
だから服従する。無意識のレベルで察知するのだ。母の笑った顔をみた記憶がない。
今、自分が「なぜ決めることをできないか」がわかった。
わかることが、始まりだった。
自分の人生を肯定する。
認める。
そのうえで、自分自身で決定する。
決定した結果は、自分のせい。
だから失敗しないように、よく考えればよいのだ。私の未来は明るくなったのだ。
本能で「いい人か悪い人か」などがわからなかった頃、
信じていた人が、
「お前がいなければ生きていけない」と言った。しかし、私と別れても生きていた。
後になってわかったのだが、
つまり、「お前のお金がなければ生きていけない」と言っていたのだ。
その人は、お金をくれる別の人をみつけて問題なく生きていた。
しかも、私に復讐をすることで、生きるエネルギーを生み出していた。
その人は「自分は悪くない。相手が悪い。」といつも自分勝手な理由を言う人だった。
私は、恨んだり、悲しんだり、途方にくれたりした。
一人では解決できず、弁護士さんにいろいろ調べてもらって、後からわかったことが沢山あった。
生きていれば、多少なりともいろいろなことがある。
けれど、そこで事実と良く向き合うことが大切だ。
真正面から事実を見つめ、原因と理由と結果を考える。そして、次に生かすのだ。
私の生い立ちがそうさせていたのだから、これからは、考えて生きればよいのだとわかった。
だから、すべての人に感謝している。
第2節 自分で決められるようになってから
そこからは、毎日毎日、学んだ。
毎朝、歩いた。
沢山の本を読んだ。
その中でも『四書五経一日一言』を3年ずっと読み続けた。
その本を読んでいくうち、
私のメンターは「孔子」をはじめとする偉人達だと気づいた。
時を超えて偉人たちは私を励ます。私の幹がぶれないのは、偉人たちの教えがあるからなのだ。
生きている人は、色々な現実を私に見せる。人間だからよい部分も弱い部分もみえてしまう。
そこで幻滅する自分がいた。
「あれ?あんなに素晴らしい対談が本に掲載されていたのに、実際はこんなことも言うのか。」
そこで、偶像化している自分に気づく。素晴らしい人は完璧だと思い込んだのは、勝手な私だった。
だから、過去の偉人たちの言葉が一番素晴らしいのだと。
色々な事情で、治療院に住んでいた私だが、転機が訪れた。引っ越しだ。
職住接近が良いので、
近くのマンションに引っ越した。
引っ越してから、私は朝3時半に起床し、1時間は自分の好きなことをした。
その後は、風呂に入り、床を拭き掃除する。
新しいきれいなマンションだったので、汚さないことを実行すればよいので、とても頑張れた。
洗濯物を絶対にためない。汚れたらすぐにきれいにする。使ったものは元の場所に戻す。
雑でよいので「後で」をなくしていった。
その結果、いつもきれいな自分でいられ、重くなく、動きがすぐでき、快適な生活を送ることができた。
「天知る地知る子知る吾知る」いつも誰かが見ていることを意識し後悔しない行動を心掛け実行した。
夜は21:30には寝床についた。6時間の睡眠を確保した。
そして、引っ越して約1年後、東日本大震災がおこった。
今終わっても悔いがない行動をしようと、更に毎日毎日頑張った。
また、本を本当によく読んだ。今もそれは続けている。
点が線になって私の未来を創ると気づきだしていた。
澄んだ心と頭でいると必ず良い出会いがある。
第3節 法人化、そして再開発
平成24年3月法人化(RoomMIYU合同会社)
そして再開発
お店は私の命。その命を、再開発のために差し出すことになった。
ことが動き出した初めのころ、不安だらけだった。どうなってしまうのだろうと思った。
しかし「いや違う、どうするのか」なのだ、と気づいた。
部外者は「よかったじゃない」とか「大変ね」とか他人事なのだ。
逆に言うと自分のかわりにはなれないということなのだ。
だから、逆に自分自身のことなのに「客観的に」考えた。
自分を遠くから観たのだ。
そして、結論「再開発で皆に良いものができるのなら、喜んで自分の命を差し出そう」と結論がでた。
そして、私の人生の体力を考えて、「お店」という形態をとって仕事するのは、あと20年と目標を設定した。
一人でもできるくらいの規模にして、経常経費は出来るだけ安くなるよう、半分の面積の今の場所と縁を結べた。
不動産は縁だとよく言う。
「ここが良い」と思ったら、すぐ行動しないと、あっという間に縁はなくなってしまうものである。
有難いことに、目と鼻の先に、現在の場所が空いていた。
情報を集め、良く考え「ここしかない」という結論に至り、そこからは、電光石火のごとく動いた。
出来うる限りのエネルギーを注いだ。人知れず。
第4節 吉方位旅行との出会い
本のとおり、素直に行動してみた。西の方位が空いたとき、米子や出雲に出かけた。
本によると、行った月から象意による変化があるとのこと。
すると、本当に赤字から脱出したのだった。
吉方位旅行に行ったのは、もう一つ理由があった。今まで努力してきた。
そろそろ運も味方にしても良いのではないかと思ったからだ。
素直に方位学という学問を実践した。今でも旅行は続けている。
第5節 物事の必然
だから、どんな時でも、何か意味があってこの苦しみを天は与えるのである。
それをやり続けるとふと「そうか、これをわからせるためにこのことが起きたのか」と察するようになる。
そうなると、また楽しい。
だから、人を育てることをやめない。お店を育てることをやめない。
私のミッションであると気づいたから。指圧は手段であったのだ。
人が育ってお店から巣立つ。巣立ちはとても寂びしいが、喜ばしいことでもある。
いかに3方良しに紐付していくか。3方良しになったとたん、運命はまた好転していく。
第1節 お店に対する想い・考え
昨年旧店舗が再開発になり、移転しました。
お店は私の命。その命を、再開発のために差し出すことになったのです。
お店をたたみ、父の介護をすることも出来ました。それでも、お店を続けることを選んだのです。
継続することが人生のすべてだ(といっても過言ではない)からです。
人は私を「いいわね、一人で」といいます。本当にそうだと思います。
「一人は楽ではないが、不便ではない。」し、自分で考えて、自分の行動を決められるからです。
その代り責任は100パーセント自分にあります。(本当は一人の人でなくともそうなのだが、気づいている人はあまりいない)
「ちょっとした相談ができない。」逆に言えば、ちょっとした相談をしてしまうから、人の意見が入ってしまい、思う通りならずイライラする人になってしまう。
だから、私は幸せだと思います。
自分の道を、自分の責任で歩み続けることができるからです。
お店があり、そこにはお客様もスタッフもいます。孤独ではないし自由です。
こんなに素晴らしいことはありません。
共存共栄。
独歩共生。
龍となれ雲おのずと来る(武者小路実篤)
このことを、実践できるのです。
スタッフみんなが良ければお店が良い。
「みんなが良い」ようにするために時間をかけます。
具体的には
ミーティングは必ず3人で行います。
Aさんが話す。AさんとBさんが会話し始める。Cさんは客観的に聴いている。
Bさんが話す。BさんとCさんが会話する。Aさんは客観的に聴いている。
このように、「客観的に聴く」時間を作りだします。そのことで、物事を深く考えることが出来るようになります。
1対1だと、相手の意見を考える時間がないのです。
人間「自分が正しい」と思って行動していますから、1対1だと意見の対立が起こり、本当は相手が正しいことでも、なかなか相手を認めることはできにくくなります。
結果、判断を間違えることが多くなってしまうのです。認めあえる社会を実践し、皆が良くなる仕組みをつくっているのです。
3人がいない時は、紙上を1人と考えて話し合います。
AさんとBさんと紙で、3者をつくりだします。紙には出来事と意見が記入してあります。
紙を1人と考えると、AさんとBさんが紙の内容を良く読み、理解しようと考えます。
すると、不思議に3者会談になって、判断がスムーズになります。
3者がよいと気づいたのは。
「相手良し自分良し世間良し。」近江商人の教えでした。
必ず3方良しを念頭に考えれば、必ず3方良しになるのだから不思議です。
以前の私は、3方良しではなく「自己犠牲」の人でした。
いつも自分が我慢、自分だけが頑張ればよい、と思っていました。
けれどその様なことを相手は望んでいないし、逆に迷惑なのだと気付いてからは、とても良いリーダーであると自負しています。
3方良しが簡単だからです。簡単にできるからです。
3方良しを大原則におくと、ほぼ間違わないことがわかったからです。
第2節 業界に対する想い・考え
業界の体質は、良い意味で頑固です。
技術者ですから、「自分」をしっかり持っています。
しかしその反面、コミニュケーション力はやや少ない気がします。だから、一人になりがちです。
この業界の人たちは、心優しすぎて社会に適応できにくい人が多いと思います。
人間関係の壁にあたり、身を引いてしまうタイプです。
夏目漱石の草枕のように「生きにくい」と思っている人が多いような気がします。
山路を登りながら、こう考えた。 智に働けば 角が立つ。
情に 棹させば流される。意地を 通せば 窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
しかし、この世は「生きにくくない」のです。
アサーティブなコミニュケーションをとることで、自分も楽に人とかかわれるようになります。
ただのスキル(マニュアル)を身につければよいだけだからです。
できないのは、そのスキルを教えてくれる人がいなかったか、いても気づかなかったかなのです。
そのような業界人を理解し、適切な援助を行うと必ず、人は育ちます。
一人の力は小さくても、一人一人が一隅を照らすおもいで行動し続ければ、業界が良くなる。
世の中も良くなる。自分も良くなる。だから、業界の人を育て続けています。
山路を下りながら、べベンが考えた。
智を人のために役立てて、 情に 感謝して「ありがとう」。
意地と度胸で 乗り切れば 、ほんにこの世は素晴らしい。(うなりやベベン)
一人で育てているわけではなく、スタッフがいる。
縁あって一緒の職場にいるスタッフ。それぞれの良さを引出し、協力しあえる関係です。
お店では私はトップではなく、コアなのだと思っています。
施術者の業界を元気にすることが、私の元気にもつながります。
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